2011/12/01

がんばっぺ!! いわき!! 日本!! 「始まり」の人々。

<夜明け市場>

先日、訪れた福島県いわき市では、沢山の「始まり」の人々と出会う事が出来ました。
大震災の被害に加えて、福島第一原発事故による風評被害の影響も大きい福島県いわき市。
JRいわき駅にほど近いエリアに地元有志の力を結集させた「夜明け市場」という飲食店街が誕生していました。
市の再生事業の一環で、被災店舗を空き店舗にリニューアルオープンさせるというプロジェクトにはとても興味深いものを感じました。
今回、私が参加をさせて頂いたのは、「facebook 夜明け市場オフ会」。ソーシャルネットワークを活用して、復興を目指す地元有志の方々の集いです。
様々な職業の方達が、想いを一つに、外部からの参加の私も温かく迎えて頂きました。


ビルの合間に提灯が揺れるいい感じの横丁です。
参加者の皆さん店主さんで「始まりの写真」撮影。焼酎「夜明け」が誕生。
焼き鳥酒場 ありがとう。



 肌寒さを感じる11月の夜。温かな光の包まれて、深まっていきました。

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<印刷会社による復興活動の底力>

株式会社いわき印刷企画センターの鈴木さんにお声をかけて頂き、「始まりの写真」撮影で伺って参りました。
全国規模の印刷会社による街おこし「マーチング委員会」の企画に参加をされるこちらの会社では、震災後、いわき市の復興の為に、「がんぱっぺ!!いわき!!日本!!」ののぼりを制作して、いわき市に提供されました。
全国で2番目の土地面積という広いいわき市内を車で走ると目に入ってくるのぼりの文字。
市民の方々の勇気となった事は言うまでもありません。
鈴木さんにお話を伺うと、当初、地元であるいわきに応援メッセージということで、「がんばっぺ!!いわき!!」のメッセージのみの案であったものの、「やっぱり、震災復興は、いわき市だけ問題ではない、<日本>も加えるべきだ!」となり、「がんばっぺ!!いわき!!日本!!」としたとの事でした。
この言葉からは、いわきから、日本を元気にしていこう!といった率直で前向きなメッセージを感じることができて、いつも私が感じている、被災地の人々のくじけない姿を浮き彫りにしたようなすばらしい言葉ののぼりだと思いました。



いわき印刷企画センタープロデュースの完バッジ
中央の「がんばっぺ!茨城」の完バッジを参考に(パクって?)作ったという。
「ウチの会社は、自分たちでもパクっちゃうので、パクリ歓迎なんです。いわき市内でも津波の被害が大きかった四倉地区には、『がんばっぺ!!いわき!!日本!!』じゃなくて、四倉の人たちに為にも、やっぱり『がんばっぺ!!四倉!!』だ!ってことで、自分たちのアイデアをパクって四倉向けにのぼりを作ったんです。」
と語る鈴木さんの言葉からは、ただのパクリではなく、優しさのある、印刷会社だからこそ出来る復興への強い想いと底力を感じるのでありました。

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 <たのしい有限会社 すし八>

いわき市役所の目の前という、好立地に位置する<回転寿司 すし八>。
震災による直接的な被害は免れたものの、震災後の客足は少なくなってしまったと言います。
こちらのご主人出村さんに会いに、夜の営業時間直前に伺って参りました。


震災前の主な常連のお客さんは、市役所の職員さん達。現在、いわき市の職員の人たちは、震災後の業務の為、深夜まで休む暇もなく全速力で稼働しており、多忙を極めているとの事です。それでも、人手が足りない状況があり、他県から応援で派遣される職員の方も大勢いるとの事でした。
以前は、就業時間後に電気の消えた庁舎を背に、すし八に足を運んだ市の職員の方達も、そういった状況もあり、今はたまにしか来られなくなってしまったとの事でした。
そして、出村さんがなにより懸念をされていた事が、「このような大震災の処理に携わる市の職員が、寿司屋で食事などけしからん。」といった風潮があるという事でした。
職員の方々もその事を気にかけて、外食を控えるような傾向があるらしく、少なからず飲食業界へ影響を及ぼしているのです。

確かに、飲食業とは業種が違いながら、震災後に不謹慎な行動を慎むといった暗黙の了解があった中、私のようなフリーランスカメラマンの仕事にも少なからず影響があったことは事実でもありました。
だからこそ、自分の生業である写真で復興の礎となるような活動をしてみたいという思いから、「始まりの写真」プロジェクトを始めることに踏み切ったのだと、今思い返してみると、そのようにも考えております。

すし八ご主人、出村さんが経営する会社名は、<たのしい有限会社>。社名の由来は、「やっぱり、楽しい事がなきゃ、人間はだめなんじゃないかな〜」というご主人の言葉そのもの。お店に入ると、納得の楽しい回転すしっぷり。

市の職員さんであっても人間であり、食事をするのは当たり前の行動であり、なおさら、話に聞く程のハードワークをこなしている方達こそ、美味しいにぎりをつまみながらでも、息抜きが必要なのではないかと感じてしまうのは、私だけでしょうか。

すし八さんのにぎり寿司、回転だからといって、侮ることなかれです。職人でもあるご主人にカウンターで握って頂くお寿司はネタもにぎりも絶品でした。お店自慢の玉子焼きも絶品でした。お土産に一人前にぎってもらっちゃいました。

震災前は、地の物中心でやっていたのが、今は、小名浜港の水揚げもないので、それだけが残念だと職人気質のご主人は言っていました。
一日も早く、きれいになったいわきの海から魚が穫れる日がくる事を願うばかりです。

その日が来るまでも、是非、市の職員さんにもすし八さんにまた足を運んで頂きたいなあ、とも思いました。

たとえ、地の物だけでなくても食とは、絶やしてはいけない文化です。市の職員さんのちょっと位の息抜きにも市民の方々には、温かく見守って頂ければ等と勝手ながら思いました。

今、この逆境におかれながらも出村さんは日々「たのしい」アイデアを考えておられます。
またいわきに行ったら、すし八に寿司食いに行きます。

2011/11/15

コンビニは建っている/セブンイレブンいわき豊間店


コンビニのある風景。それは、現代を生きる私達にとってもはや原風景と言えるのかもしれない。旅先、知らない土地や海外においても、コンビニを見つけては安心された経験のある人も多いのではないだろうか。コンビニは、私達の生活の中で灯火のような存在なのかもしれない。

震災前、豊間のビーチは、サーファーたちで賑わった。今、浜辺に人影は見当たらない。浜辺に建っていた住宅も今は、姿を消してしまった。近隣の住民は避難の為、人口は減ってしまい、街道を走る車の数もまばらである。
海辺を走る382号線沿いにセブンイレブンいわき豊間店は、今も営業を続けている。仮設の店舗と移動販売で店を切り盛りしているのは、オーナーのご夫妻と出向の従業員の方の3人。

店内には、パンやお弁当が少量並べられている。コンビニ特有のポスレジはない。
あとは、移動販売車にて、市内を移動しながら販売をしている。

今回のいわき市来訪において、私は、そこで生きる人々のくじけないたくましさを否応無しに感じさせられている。福島県を取り巻く状況は、周知のとおり、最悪なのかもしれない。しかし、そんな今でも、震災前と同様、「東北の湘南」と呼ばれたいわきにはサンシャインが降り注ぎ、そこで根を張る人々は、逆境をものともせず、精一杯生きている。

人口が減少してしまったこの地においての営業再開には不安があるとのことながらも、12月中旬に被災した店舗を修復してリニューアルオープンをするという。
豊間の灯火となるべく、コンビニはそこに建っている。
修復工事は、これから。
柱だけ残された被災した店舗の向こうには、静かな夕暮れの海が広がっていた。








(撮影を申し出た所、了承を頂き撮影をさせて頂いて参りましたが、ご主人と奥様はBLOGの掲載のご辞退をされたので、従業員の方のみ掲載しました。)

2011/11/11

久之浜、浜風商店街。


2011.11.8.福島県いわき市に訪れました。青空に白い雲が浮かぶ気持ちのよい天候。久之浜の<浜風商店街>にて、「始まりの写真」撮影を行って参りました。
ここでは、被災した久之浜商工会、商店が結束して商店街を9月3日にオープンしました。

私が訪れた火曜日の午前中は、各商店がオープンの準備等を行いながら、皆様それぞれ、外へ出て挨拶を交わしながら、ひなたぼっこしながらおしゃべりを楽しむ、和やかな様子でした。

突然お邪魔したにも関わらず、快く撮影を受け入れて頂き、皆様の写真を撮影して差し上げて参りました。










久之浜第一小学校の校庭の一角を利用して設営された<浜風商店街>。からすや食堂のご主人にお話を少し伺った所、やはり最初は、元あったお店で営業再開をしたいという想いが強くあったそうですが、現在のように、皆で集まってやるのも、今は楽しいとおっしゃっていました。

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<浜風商店街>に出店されている10店舗。上の写真の付箋が元あった場所を示す。

からすや食堂(飲食店)
スガハラ理容(理容所)
石井魚店(鮮魚小売)
リカーランドてんぐや(酒屋)
はたや(スーパー)
あかもの屋(駄菓子屋)
シューズショップさいとう(衣料品・クリーニング)
プラネットさとう(家電小売)
白圡建築設計事務所(建築設計)
久之浜町商工会





元あった商店街の今の様子を見に行ってみると、津波と火災の被害が甚大であったことを感じとれます。様々な困難がありながらも、前向きに笑顔が溢れる商店街を築き上げた<浜風商店街>の皆様には、こころから感動させられ、エールを送らずにはいられない気持ちになりました。
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翌日のお昼に、からすや食堂さんでチャーシューラーメンを戴いて参りました。
浜風を感じる美味でした。

久之浜商工会のブログ
浜風商店街の出来るまでや最近のイベント情報等が掲載されています。





2011/11/08

小名浜、始まりの風景。



福島県いわき市の小名浜港にて、いち早く営業を再開された直売所の丸克商店さんにての「始まりの写真」プロジェクト撮影を行って参りました。このエリアで営業を再開したのは、こちらの丸克商店さんのみ。
東京等の近郊各地から観光バスが続々と立寄り、私が居たわずかの時間にも、かなりの賑わいを見せていました。お忙しい合間のタイミングを見て、従業員さんの写真を撮影させて頂きました。




 震災前には、観光バスが溢れかえった、漁港周辺も、津波の被害で営業が出来なくなってしまい閑散とした風景が広がる中、丸克商店の賑わいは、異彩を放っています。
こちらの商店の一階部分にも津波が押し寄せて、暫く営業することが出来なかった中、ここまで復旧させた事には、丸克商店さんで働く方々の努力の賜であります。そこには、観光バス会社との連携をはかり、一商店の復興のみならず、観光名所でもある、小名浜漁港全体の復興の担い手でもある事を伺わせています。

当の小名浜港の水揚げはまだまだ少ないらしく、まして、福島原発事故による風評被害が輪をかけて復興までには、数々の関門が存在している事は確かです。

しかし、この人々の努力と心意気には感動せずにはいられない、始まりの風景がそこには確実に存在しているのです。



豊かな土地面積と、文化に富んだいわき市における「始まりの写真」プロジェクトは、困難な状況におかれながらも復興に向かう人々を追って、撮影を行って参ります。

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こちらは、同じく、震災後暫く休館を余儀なくされた「アクアマリンふくしま」水族館がオープン。さんまの研究施設としての評価も高い。



2011年11月25日リニューアルオープンの「ら・ら・ミュウ」に誕生する東北最大級の屋内型遊び場。http://www.lalamew.jp/index.php
観光都市のいわき市では、復興に向けて様々な試みがなされています。



2011/10/18

コミュニティーカフェ

10月8日、10月9日の2日間、山元町の全ての仮設住宅にて隔週でコミュニティーカフェボランティアを開催している、ボランティアグループに同行させて頂き、カフェにお集り頂いた方や、仮設住宅暮らしをされている方々の撮影を行って参りました。

コミュニティーカフェの代表を務める十河さんとは、9月11日の山元町でのイベントでご一緒して以来、共に東京からの参加という事もあり、支援活動について、様々な意見を交わして参りました。

コミュニティーカフェ活動は、仮設住宅の集会所にて、おいしいコーヒーを提供する事で、仮設住宅というコミュニティーのコミュニケーションの場を提供するとともに、人が集まり、おしゃべりを楽しみながら、仮設住宅内部からの活性化を試みる活動でもあります。

また、継続して、同じ仮設住宅にて定期的に開催する事で、進行を深めながら、支援を試みるという部分においても、興味深い活動でありました。


近い将来的にそれぞれの仮設住宅内で活動そのものを独立させて行く事も目的としており、人が集まり自由意志を基に復興を考え、カフェでの絆を深めながら、可能性を築き上げて行くいう事が真意の様でもあります。
何より、今回「始まりの写真」プロジェクトとして同行させて頂き、お集り下さった皆様のコーヒーを楽しむ姿が印象的でした。


駅周りを中心とした町の繁華エリアが壊滅してしまった、山元町の方々にとっては、まるで喫茶店に来たような、非日常空間でもあるようで、集まった皆様が本当に楽しそうにおしゃべりをされたりする姿は、感動的でもあります。

「始まりの写真」プロジェクト撮影の方も、その楽しい雰囲気に包まれて、まるで同窓会を楽しむ方々の撮影のような、新鮮な空気に満ちた撮影を行う事が出来ました。

人が集まり、人が楽しみ、おしゃべりが生まれる場所には、必ず可能性が生まれます。
コミュニティーカフェのこの発想には、私自身、全く同感致しました。




コミュニティーカフェ/「始まりの写真」プロジェクト web GALLERY
http://hajimarinoshashin-gallery.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

2011/09/30

Photo-Kizuna-Project 西町インターナショナルにての講義




「始まりの写真」プロジェクトと共に、私が積極的参加をしているPhoto-Kizuna-Projectの活動報告です。

8月に催された「がんばろうカフェ」の参加者でもあった上智大学助教授のDavid H Slaterさんのお声がけで、西町インターナショナルミドルスクールの生徒さんたちが、写真洗浄に毎週の課外活動の時間を利用してご協力いただくことになりました。

学校側からの支持を得て、本日は、参加いただく生徒さんたちのために説明会を行って参りました。
スクリーンのスライドショーを見ながら、Photo-Kizuna-Project主催者の笹口さおりさんの説明に真剣に耳を傾ける生徒さんたち、日本の中学校にあたるミドルスクールが、支援活動に対して真剣に取り組もうとする学校側の姿勢に、私自身大変共感するところがあり、また、先生と生徒のやり取りなどから、国際的環境の中での教育方針をかいま見る機会に、とても新鮮な喜びを感じて参りました。

「がんばろうカフェ」開催時にも感じたことでもありましたが、ボランティア活動には、参加者の主体性が何より必要であり、東北から離れた東京においても国籍を問わず多くの人が支援活動について考えておられることを感じることができました。

被災地復興には、この先まだ長い期間を要することでしょう。
復興支援活動にも、この先継続するための強い精神力と体力、また多くの人の知恵が必要とされることでしょう。

今、私は、「始まりの写真」プロジェクトの参加者の方たちや、Photo-Kizuna-Projectの写真洗浄活動に参加をされる方たちから、写真の大切さはもちろん、震災という衝撃から立ち直るために人と人とが支え合っていこうという尊い気持ちを存分に感じております。

それは、もしかしたら、震災以前から潜在的に人の気持ちの中にあった共有すべき良心であったようにも素直に受けとめております。

まだ、あどけなさの残る中学生、西町インターナショナルミドルスクールの生徒さんたちの心強い活動応援参加者の登場に、私は、現実的明るい未来を夢見ています。
彼らが彼らのために築き上げる、尊い未来であって欲しいと願うとともに、写真という過去も未来も繋ぐメディアとの関わりの中から、何かを感じ取っていただけるのではないかと考えております。











Photo Kizuna Project BLOG
http://photo-kizuna-project.blogspot.com/