今後の指針を示すべく、<「始まりの写真」プロジェクトについて>を更新致しました。
2012年11月初めに訪れた、牡鹿町、女川町、南三陸町の写真も近日中にアップの予定です。
実質、今年に入ってからは、当初のチャリティ撮影という名目にとらわれずに写真でできることという、根本の方向性を探っておりました。活動そのものに3月以降あまり動きを出せずにおりましたが、また来年に向けて新たに始動させて参りたいと考えております。
更新されない間にも、多くの方々から当BLOGへアクセス頂き、常に身が引き締まる思いであります。また、BLOGを通じて様々な問い合わせも頂いており、繋がりが生まれていることにも、このプロジェクトの広がりと新しい展開の可能性を感じております。
<笑顔のシェア>というこのプロジェクトが掲げたテーマを原則に今後も精進して参りたいと思います。
2012年11月初めに訪れた、牡鹿町、女川町、南三陸町の写真も近日中にアップの予定です。
実質、今年に入ってからは、当初のチャリティ撮影という名目にとらわれずに写真でできることという、根本の方向性を探っておりました。活動そのものに3月以降あまり動きを出せずにおりましたが、また来年に向けて新たに始動させて参りたいと考えております。
更新されない間にも、多くの方々から当BLOGへアクセス頂き、常に身が引き締まる思いであります。また、BLOGを通じて様々な問い合わせも頂いており、繋がりが生まれていることにも、このプロジェクトの広がりと新しい展開の可能性を感じております。
<笑顔のシェア>というこのプロジェクトが掲げたテーマを原則に今後も精進して参りたいと思います。
「始まりの写真」プロジェクトについて
「始まりの写真」プロジェクトは、2011年5月に、東日本大震災の被災地を訪れて以来、写真撮影を通じて<笑顔をシェア>する活動として、撮影活動を続けて参りました。
その後、支援者と被災地を写真を通じてその思いをシェアできるよう、当BLOGを立ち上げ、活動の報告を行って参りました。当BLOGへのアクセスは、日本国内のみならず、世界中に広がりを見せており、この東日本大震災からの復興への関心と震災が世界に与えた影響力の大きさを改めて感じさせられております。
これらの活動を通じて、多くの志を共にする素晴らしいボランティア活動をする人たちとの出会いがあり、訪れた被災地においても復興支援の合い言葉でもあった、<絆>を感じさせられる多くの貴重な体験に授かって参りました。
写真撮影という人と人との生の関わりを通じて、カメラのレンズを通した様々な人々の想いを直に感じさせられてきたこと、それぞれの場面において、震災後に育まれた出会いや友情は、私達にある気付きをもたらしており、震災がもたらした多くの悲劇に取って代わる皮肉ではないことを確信させられております。助け合いの精神は、地震や自然災害の多い日本では古来からの災害から身を守る術の一つでもあり、人間としての真実と直結しているという事実を改めて実感させられたのです。
また、震災からまもなく2年が経とうとしている現在、津波に襲われた地域に散在していたガレキのほとんどは集積所へ運ばれ、半壊の家屋等が解体された後に残された風景は、かつて住居や街が存在していたその場所の再開発へと向かう過程にあるようにも一見すると思えるかもしれません。整備された道には復興の多大な成果を感じさせられます。しかし、人の生活の営みが消えたその風景には、今なお震災の傷跡は拭い去る事の出来ない記憶として深く刻まれています。避難生活を続ける被災者の方達にとっては、様々な複雑な想いがあるのです。
かつてそこにあった日常。震災後の今の日常。被災地における無常の世界を眺めながら、外部から来た私のような人間にとっては、今目にしているあまりにも普通にあるこの日常から、あたかもそこには始めから何もなかったことのように思えてしまうかもしれません。しかし被災者の方達その地の人たちにとっては、傷跡と未来を描く無垢のキャンバスそれぞれの側面を持った、心に結びつけられた聖なる風景なのです。
苦境の中、もがきながらも前を向いて行こうとする多くの人たちがいます。そして一歩づつ前へと進んでいる人も多くいると思います。
このような人たちの精神力に、むしろ励まされた支援活動をされた人も多いに違いありません。私の「始まりの写真」プロジェクトのアイデアそのものは、未曾有の震災を目の当たりにした被災者、支援者とを写真の力で笑顔を紡ぐというものでありました。しかしながら、継続させるモチベーションは、やはり実際に現地へ赴いて被災地で出会った人々の前向きな想いであったのです。今なお私は、被災地でがんばる人たちの姿にむしろ後押しされた形で、この活動に関わって行きたいと考えているのです。
2012年以降、避難生活者の方々の仮設住宅への転居が各地で進み、被災地における被災者の自立支援を促すという全体の流れに伴い、当初はチャリティ支援活動として始動した当プロジェクトではありましたが、現在はチャリティで支援して行くという方向性は絶っているのが現状ではあります。今後は、チャリティという支援方法だけにとらわれる事なく、この活動を通じて築き上げて来た<絆>を過去のものとするのではなく、純粋に人の想いをメッセージできるようなプロジェクトへとシフトしていきたいと考えております。
写真とは、過去を過去へと追いやっていくものであるかもしれません。しかし、現在と常に向き合うと言う意味においては、過去を現在として向き合う事も可能とするものでもあります。そして、過去と向き合いながら未来へと向かう現在が被災地にはあると私は思うのです。私が今まで撮影して来た写真、今後撮影していく被災地の姿が何らかの東日本大震災で被災された方達にとって少しでも前を向く手だてとなるようなものであって欲しいと願うのです。
2012年12月1日 安藤毅
その後、支援者と被災地を写真を通じてその思いをシェアできるよう、当BLOGを立ち上げ、活動の報告を行って参りました。当BLOGへのアクセスは、日本国内のみならず、世界中に広がりを見せており、この東日本大震災からの復興への関心と震災が世界に与えた影響力の大きさを改めて感じさせられております。
これらの活動を通じて、多くの志を共にする素晴らしいボランティア活動をする人たちとの出会いがあり、訪れた被災地においても復興支援の合い言葉でもあった、<絆>を感じさせられる多くの貴重な体験に授かって参りました。
写真撮影という人と人との生の関わりを通じて、カメラのレンズを通した様々な人々の想いを直に感じさせられてきたこと、それぞれの場面において、震災後に育まれた出会いや友情は、私達にある気付きをもたらしており、震災がもたらした多くの悲劇に取って代わる皮肉ではないことを確信させられております。助け合いの精神は、地震や自然災害の多い日本では古来からの災害から身を守る術の一つでもあり、人間としての真実と直結しているという事実を改めて実感させられたのです。
また、震災からまもなく2年が経とうとしている現在、津波に襲われた地域に散在していたガレキのほとんどは集積所へ運ばれ、半壊の家屋等が解体された後に残された風景は、かつて住居や街が存在していたその場所の再開発へと向かう過程にあるようにも一見すると思えるかもしれません。整備された道には復興の多大な成果を感じさせられます。しかし、人の生活の営みが消えたその風景には、今なお震災の傷跡は拭い去る事の出来ない記憶として深く刻まれています。避難生活を続ける被災者の方達にとっては、様々な複雑な想いがあるのです。
かつてそこにあった日常。震災後の今の日常。被災地における無常の世界を眺めながら、外部から来た私のような人間にとっては、今目にしているあまりにも普通にあるこの日常から、あたかもそこには始めから何もなかったことのように思えてしまうかもしれません。しかし被災者の方達その地の人たちにとっては、傷跡と未来を描く無垢のキャンバスそれぞれの側面を持った、心に結びつけられた聖なる風景なのです。
苦境の中、もがきながらも前を向いて行こうとする多くの人たちがいます。そして一歩づつ前へと進んでいる人も多くいると思います。
このような人たちの精神力に、むしろ励まされた支援活動をされた人も多いに違いありません。私の「始まりの写真」プロジェクトのアイデアそのものは、未曾有の震災を目の当たりにした被災者、支援者とを写真の力で笑顔を紡ぐというものでありました。しかしながら、継続させるモチベーションは、やはり実際に現地へ赴いて被災地で出会った人々の前向きな想いであったのです。今なお私は、被災地でがんばる人たちの姿にむしろ後押しされた形で、この活動に関わって行きたいと考えているのです。
2012年以降、避難生活者の方々の仮設住宅への転居が各地で進み、被災地における被災者の自立支援を促すという全体の流れに伴い、当初はチャリティ支援活動として始動した当プロジェクトではありましたが、現在はチャリティで支援して行くという方向性は絶っているのが現状ではあります。今後は、チャリティという支援方法だけにとらわれる事なく、この活動を通じて築き上げて来た<絆>を過去のものとするのではなく、純粋に人の想いをメッセージできるようなプロジェクトへとシフトしていきたいと考えております。
写真とは、過去を過去へと追いやっていくものであるかもしれません。しかし、現在と常に向き合うと言う意味においては、過去を現在として向き合う事も可能とするものでもあります。そして、過去と向き合いながら未来へと向かう現在が被災地にはあると私は思うのです。私が今まで撮影して来た写真、今後撮影していく被災地の姿が何らかの東日本大震災で被災された方達にとって少しでも前を向く手だてとなるようなものであって欲しいと願うのです。
2012年12月1日 安藤毅
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